2019年11月28日木曜日

出不精ながら、展示会へ (番外編)


ちりめん本にみる東西文化の融合
――明治の木版多色刷り絵本の世界

 展示会に出かけたというより、出かけた先で展示会をしていました。調べ物があって、久しぶりに白百合の大学図書館へ行ったのです。2階の吹き抜けスペースで、こぢんまりとすごい展示会をしていました。大学図書館が所蔵している、ちりめん本コレクションです。

 「ちりめん本」というものを初めて見たのですが、しわしわに縮れていながら、絵も活字もきれいな線を保っている、不思議な和紙の絵本でした。浮世絵のような挿絵の和綴じ本なのに、活字が欧文なのも、何とも妙な感じです。元々は明治期の長谷川武次郎という商人が考案した、日本人のための外国語学習教材。日本の有名な昔話を様々な言語に翻訳したものからはじまったそうで、商才に長けた人はひらめきの天才なのかもしれません。

 配布資料によると、本展にはふたつの見どころがあるようです。ひとつ目は、挿絵の版木。現存している版木はほとんどないそうで、その理由が時代を感じさせるものでした。ふたつ目は、展示準備の過程で判明したという、ちりめん本の昔話四話の原典です。ちりめん本になった日本の昔話は、何に基づいて外国語に翻訳されたのか。素人としては、まだ判明していなかったことに驚きましたが、ちりめん本研究は開拓の余地の広い分野なのでしょう。

 展示内容以前に驚いたことも、ふたつありました。ひとつ目は本展のポスター。ちりめん本の挿絵を用いたクイズになっていて、「実物を見たい人」向けに展示場所や展示期間のお知らせが、「すぐ知りたい人」向けにQRコードがありました。試しにQRコードを読み込んでみると、白百合女子大学図書館のホームページにある「当館所蔵のちりめん本デジタルアーカイブの紹介」ページに。コレクションの一部の作品だけですが、表紙から裏表紙まで、全ページの画像を見ることができます。遊び心があり、かつ、インターネットを活用した展示というものについて考えさせられるポスターでした。

 ふたつ目は、メインとなるガラスケースでの作品の展示方法。一般的に、展示品は間隔に余裕をもたせて配置します。ところが、展示スペースに限りがあるためでしょう。平置きだけでなく、立てたり重ねたり。その配置は立体的で、工夫が凝らされていました。例えば、同じ絵の表紙でちりめん加工されているものとされていないものが並んでいる展示。大きさを比較して、加工による縮み具合を確認できます。同じ話を扱った異言語の作品同士は、ずらして重ねてあり、絵がほぼ同じで、活字の言語だけ異なっているのが見て取れました。感動したのが、『八ツ山羊』という西洋昔話を日本語に翻訳したしかけ絵本の展示方法。狼のふくれたお腹をめくると食べられた子山羊たちが出てくるしかけなのですが、めくる前と後が両方わかるよう、めくり部分が絶妙な角度に開かれ、固定されていました。

 こんな展示方法があるのだと目から鱗が落ちるのを感じながら、和洋入り交じったちりめん本の不思議な雰囲気を味わったのでした。
〔敬称略〕

展示会に行った日:20191121
文責:出不精ながら

◆展示会情報
「ちりめん本にみる東西文化の融合
――明治の木版多色刷り絵本の世界」
白百合女子大学図書館 2階吹き抜けスペース
2019/11/20(水)~2019/12/12(木)
12/2(月)に展示内容の一部入れ替えがあります。

蟷螂(かまきり)


駐輪場のアスファルトに
季節外れの蟷螂
昨日も同じ場所にいた
踏み潰されてはかわいそう

大きな鎌による攻撃を恐れ
家の鍵を取り出すと
両前肢の付け根を横からすくい
持ち上げて庭木の根元へ移す
蟷螂はまるで動かなかった

ここでは日が当たりすぎるかと
今度は指でつまんだ瞬間
翅の重なりを勢いよく開き
最後の力を振り絞って
蟷螂はわたしを威嚇した

その気高さに胸を突かれ
動けぬわたしの目の前で
広げた翅から力が抜けて
体の色から生気が抜けた



作詩:しあわせもりあわせ

2019年11月18日月曜日

創作(お話)

   砂浜の話

砂浜の砂粒と一口に言っても、世界中にはたくさんの砂浜がありますし、それぞれの砂浜には途方もない数の砂粒があります。個々の砂粒を分類するにも、そのための基準となる事柄がいくつかあります。
 たとえば砂粒になるまでの経歴――貝殻が壊れて細かくなったとか、防波堤のコンクリートが波に削られたとか、海底火山のマグマが冷えて固まった後にもろもろと崩れたとか、そこらへんの石ころが波に揺られるまま転がっているうちにいつのまにか小さくなっていたとか――、もっと単純に、砂粒の形状――丸いとか角張っているとか凸凹とか滑らかとか――、より科学的に、砂粒に含まれている成分――これは、いちいち例を挙げていると話が難しくなりすぎるので省略――など。
 まあとにかく、これからお話をする砂粒に関しては、このような砂粒の分類について、あまり気にしないでください。いちいち分類していると本当にややこしく、厄介ですから。

 砂粒は考えごとをしていました。砂粒は以前、その中に侵入したことのある、二枚貝を思っていました。その二枚貝は小さくて――砂粒からしたら百倍はあるのですけれど――、他の二枚貝と同じように斧の形をした脚を持っていました。その二枚貝が外敵から身を守ろうと砂の中にもぐりこんだ拍子に、砂粒は二枚貝の脚に触れ、その素晴らしい感触に、すっかりまいってしまったのでした。砂粒はまたあの脚に触れたいと願い、波がそのように動いてくれないものだろうかと、一日中、考えて過ごすようになりました。夜もあまり眠れなくて、祈ってばかりいました。砂粒の願いが叶ったのは、それから数日後のことでした。二枚貝がまた外敵から逃げようと慌てて砂に潜ったとき、砂粒は吸い込まれるように、貝の内部に入っていきました。急な出来事ではありましたが、砂粒はできるだけ奥のほうへ入りたいと強く念じ、とうとう本当にそのようになりました。恋焦がれていたあの感触に再び包まれることができ、砂粒はとても幸せでした。
 砂粒は二枚貝の中でいつの間にか眠ってしまいました。この数日間、ほとんど眠れずにいましたから。眠りに落ちていく直前に、砂粒はえもいわれぬ甘美な夢を見たような気がしました。そしてその夢がいつまでも続くと、ほとんど確信しながら意識の底へ沈んでいきました。久しぶりの深い眠りでした。
 しかし目を醒ますと砂粒は二枚貝の外にいました。二枚貝にとって砂粒は異物でした。ちょっと脚を動かすたびに、砂粒の表面にある小さな凸凹が当たって、二枚貝は痛くてたまりませんでした。砂粒が恍惚としているあいだにも、二枚貝は必死になって、砂粒を追い出そうと体を動かしていました。
 砂粒には二枚貝の事情はよく分かりません。したがって、なぜ自分が二枚貝の外にいるのか理解できません。仕方がないので、二枚貝のことを考え、脚の感触を思い出すことにしました。砂粒はわりあい記憶が良いほうなので、細部まで思い出すことができましたし、想像力も豊かでしたから、必要とあらば現実でないことを思い起こすことさえ可能でした。ただし一つだけ、あの夢の甘美な味わいだけ、どうしても再現することができませんでした。
 砂粒はそれでも二枚貝のことを思っていました。甘美な夢を忘れてしまったとしても、幸せな過去を生きることはできるのです。砂粒が思い出に浸っている間に、波は行きつ戻りつしながら、砂粒をより浅いほうへと運んでいきました。水際まで砂粒を送り届けると、波は帰っていきました。砂粒と他の砂粒たちの間は水で満たされていましたが、波が行ってしまうと、水のあったところに空気が入りました。しゅー、という音がしました。そろそろ潮が引く時間です。

遠藤知恵子(児童文化研究センター助手)


2019年11月13日水曜日

衝撃


あれからひと月も経つのに
同じ質問をくり返すのは

何度詳しい回答を得ても
すぐさま同じ質問をするのは

受け入れ難い出来事に
向き合う幼い心ゆえ

どうしてかがやきは
しずんじゃったの



作詩:しあわせもりあわせ

 20191012日夜、台風19号が日本に上陸し、翌13日にかけて各地に甚大な被害をもたらしました。この台風により亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、ご遺族と被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。
 

2019年11月8日金曜日

知らせる


周りの誰も気づいておらず
教えてあげる連れもなく
自分一人ではもったいない

子どものように叫べれば
一番手っ取り早いのだけど
気恥ずかしさが先に立ち

スマホを空に掲げると
シャッター音を響かせる
ほら 虹だよ 皆見て



作詩:しあわせもりあわせ

創作(お話)

   ごきげんよう

 
 砂浜を、歩いていました。
波打ち際の砂は、波にすっかり(なら)されていて歩きやすく、一歩踏むごとに、しっとりと靴底に吸いつきました。
穏やかな昼下がりです。小さな雲がひとつ、まっさおな空に浮かんでいました。
(あ。しまった)
 空に見とれて、波をよけるのを忘れました。
靴と靴下を、海の水がじんわりと冷やしました。
波は、私の立っているところよりもう少し進んでから、さーっとひいていきました。
(まあ、いいか。きょうは暖かいから)
 私は、波が帰って行ったところ、つまり、水平線の向こうを見やりました。

 波が、また来ました。
「ごきげんよう、石ころさん」
 水の中で泡ができる音や、できた泡がはじける音にまぎれて、子どものような、甲高い声が聞こえました。
「はい、ごきげんよう。砂粒ちゃん」
 低い声が、ゆったりと答えました。
 波が、さーっとひいていきました。
 波が行ってからほんの少しだけ間をおいて、砂粒と砂粒の間から、しゅうう、と、波打ち際に残っていた水が抜けました。あたりは静まり、遠くから波の音だけ響いてきました。
(石ころさんに、砂粒ちゃん、か)
 私は、腰をちょっとかがめて、足元をよく見てみました。
 湿った砂の上には、割れた貝殻、海草のきれはし、ヤドカリ、それに、石ころ。
 波が来ました。
 水のうねりに乗って、新しい砂粒たちが、タイヤのようにくるくると回りながら、ゆるやかな砂の坂をのぼりました。
「ごきげんよう、石ころさん」
 石ころは、砂粒がぶつかってくるのをゆったりと受け止めました。
「はい、ごきげんよう。砂粒ちゃん」
 波が、さーっとひいていきました。
 また、静かになりました。波の音だけが、遠くから響いてきます。
 ヤドカリが、のろのろと石ころのほうへ歩きます。
 私は、腰をまっすぐに伸ばし、水平線の向こうを見やりました。
 波が来ます。
「ごきげんよう、石ころさん」
 砂粒の挨拶。
「はい、ごきげんよう。砂粒ちゃん」
 石ころの挨拶。
 波が、さーっとひいていきます。
 ヤドカリは少しずつ、石ころに近づきます。
 私は、眠たくなって、大きな欠伸をしました。
 石ころは私が欠伸をしたことに気がついたようでした。
「こらこら、きみ、こんなところで眠る気かい?」
 石ころの声は優しく、少し、笑いを含んでいました。
「いえ・・・そろそろ、帰ろうかな」
 私はもう一度、海を見ました。
「そうかい。じゃあ、帰る前に、砂粒ちゃんたちに挨拶なさい」
「ええ」
 私たちは、次の波が来るのを待ちました。
 のろのろと歩いていたヤドカリが、ようやく石ころのあるところまで来ました。
 ヤドカリは歩みを止め、ぼそぼそと呟きました。
「おれは知っているぞ。あんたの腹のどまんなかに、大きなひびが入っていることを。あんたはもうすぐ――」
 私はとっさに、ヤドカリをつまみ上げ、海に投げました。
 ヤドカリは、宙にゆるやかな弧を描いて、音もなく水の中に沈んでいきました。
 私は、石ころになにか話しかけようとしました。
「石ころさん」
 石ころは、返事をしませんでした。返事をする代わりに、泣き出しました。
「うおおおおん、うおおおおん、うおおおおん、うおおおおん・・・」
 私は、両方の掌で包むように、石ころを拾い上げました。
 石ころはあたたかでした。
(お日さまの熱だ)
 私は思いました。
 近くで見ると、ヤドカリが言ったように、石ころのまんなかに大きなひびが走っているのが分かりました。
 石ころは吠えるように泣きました。
(波の音みたい)
 私は石ころを撫でました。
 石ころの声はどんどん大きくなっていきました。大きくなればなるほど、遠くから響いてくる波の音に紛れて、どれが石ころの叫び声で、どれが波の音なのか、分からなくなりました。
 石ころはぶるぶると震えだしました。
「石ころさん」
 私が呼びかけた、ちょうどそのときに、石ころは、ぱかん、と、ふたつに割れました。
震えが止まりました。
ふたつに割れると、そのまま、石ころは崩れ、砂になって、私の手から砂浜へ、さらさらと落ちていきました。
こぼれ落ちた砂は、すぐにまわりの砂の水けを吸い込みました。ほかの砂粒と見分けることは、もう、できません。

波が来ました。
やって来た砂粒たちは、石ころがいないので戸惑ったようでした。けれども、やはり、言いました。
「ごきげんよう」
私も、答えました。
「ごきげんよう、砂粒ちゃん」
 波が、さーっとひいていきました。


児童文化研究センター助手 遠藤知恵子

2019年11月1日金曜日

猫村たたみの三文庫(非)公式ガイド


猫村たたみの三文庫(非)公式ガイド 

4)検索の実験にゃ!


センター構成員の皆さま、ご機嫌いかがかにゃ?
センター三文庫の守り猫、猫村たたみですにゃ。

 荒れた天気の続いた10月が終わり、もう11月ですにゃ。穏やかな秋の日差しのなかで、たまには縁側で日向ぼっこしたいのにゃ~。

ところで、皆さまは「青い鳥」のお話は好きかにゃ? 私は大好きにゃ。「青い鳥症候群」なんていうネガティブな言葉もあるのにゃけど、青い鳥を追いかける冒険は、旅好きの私にはたまらなく素敵なのにゃ。
児童文化研究センターの冨田文庫には「青い鳥コレクション」があって、様々な種類の『青い鳥』や関連資料がそろっているのにゃ。古い本には立派なものがあって、開くとゴージャスな気分に浸れるのにゃよ。

そんなわけで、今日は「青い鳥」をキーワードに三文庫を検索するのにゃ!
三文庫の本を検索するには、白百合女子大学図書館HPの、「白百合女子大学 学術リソース」にゃね。こちらがそのURLにゃ!


「児童文化研究センター文庫」のところをクリックして検索画面を出すのだにゃ。…カチ(クリック)。
とりあえず簡易検索で「青い鳥」と入力してみるのにゃ!カタカタ(入力中)…にゃむ。それでは、「検索」ボタンをクリックにゃ!…カチ(クリック)

にゃにゃ? 190件もヒットしたにゃ。にゃ~むにゃむ…。メーテルリンク以外の人が書いた本も交じっているにゃね。こんなにいっぱいヒットするのは簡易検索だからだにゃ~。しかも、「メーテルリンク」という表記の他に、「メエテルリンク」や「マアテルリンク(マァテルリンク)」というのが出てきたにゃ。
にゃむ…なんだかおもしろいのにゃ。それぞれの名前で、何件ずつヒットするか、実験してみるのにゃ!
まずは、「メーテルリンク」にゃ。カタカタ(入力中)…クリックにゃ!…カチ(クリック)。

115件にゃ。なかなかにゃね。
「メーテルリンク」と、名前で簡易検索したから、今回は『青い鳥』以外の本も入っているのにゃ。
では、「メエテルリンク」ではどうかにゃ。カタカタ(入力中)…クリックにゃ!…カチ(クリック)。

23件! ぐっと少なくなったのにゃ。
にゃむにゃむ…一覧を眺めてみると面白いのにゃ。『メヱテルリンク』と旧かなづかいが出てきたり、「青」の字が旧字(「靑」)の本もあったりするのにゃ。「メエテルリンク」という表記は、古い本に多いのかにゃ?
最後に、「マアテルリンク」はどうかにゃ? カタカタ(入力中)…クリックにゃ!…カチ(クリック)。

19件にゃ! こちらも、比較的古い時代(戦前)のものが多いのにゃね。

実はメーテルリンクの名前の読み方については、『白百合女子大学児童文化研究センター研究論文集 16』に収録された講演録に書いてあるのにゃ。「マーテルリンク」はメーテルリンクの出身国、ベルギーでの読み方なのにゃよ。こんな風に書いてあるから、ちょっと引用しておくのにゃ。
 マーテルリンクと言うのは、言ってみれば現地[ベルギーにゃ!:猫村]の発音です。メーテルリンクとなったのは、フランス人が、それがうまく読めないというか、あるいはむしろそれがドイツ語風のスペルだと思い込んでいたからメーテルリンクと読ませてしまったものだと思います。 
ウィリー・ヴァンドゥワラ氏講演「日本におけるメーテルリンク文学の受容――『青い鳥』を中心に」『白百合女子大学児童文化研究センター研究論文集16pp.139-160より、 p140
  
 ちなみに、「Maeterlinck」と欧文表記の名前で検索すると、洋書を含む28件。ついでに、フランス語風に、「メーテルランク」と検索してみたら9件がヒットしたのにゃ(皆さまもご存じの通り、「青い鳥」の原題はフランス語でL’Oiseau Bleuにゃ。 


同じ人の名前にこんなにたくさんの表記方法があるなんて、日本特有の現象で面白いのにゃ!
本を翻訳したり紹介したりした人たちが学んだ外国語や持って生まれた言語感覚により、どんなカタカナ表記にするかが変わってくるのにゃね~(※)。

「青い鳥コレクション」は、センターの冨田文庫にゃ。請求記号でT00579T00870のあたりにゃよ。戦前の古い本から比較的新しいアニメ絵本まで豊富に取り揃えているのにゃ。
古い本は扱いに注意が必要なのにゃけど、丁寧な造本や活版印刷の凸凹など、実際に手に取らないとわからない味わいがありますにゃ。センター構成員の皆さまは簡単な手続きで入庫できるのにゃから、ぜひ、活用してほしいのにゃ。
手続きについては、前に、こんな風にお伝えしていたにゃね。

三文庫の蔵書はどれも貴重な資料にゃよ。
文庫スペースに立ち入るには、児童文化研究センターに行って、下記のとおりの利用受付が必要にゃ。
 https://www.shirayuri.ac.jp/childctr/library/sanbunko/gakunai.html 児童文化研究センターの開室時間は9:0017:00にゃ。時間に余裕を持って来室することと、事前に資料のIDを調べておくことが三文庫利用のポイントだにゃ。

・・・念のための確認にゃ!

さて、と・・・だにゃ。
それでは、私は一足お先に児童文化研究センターに行ってきますにゃ。
皆さま、ごきげんようにゃ~。

※でもだにゃ、メーテルリンクのカタカナ表記4種類なんて、まだまだ可愛いものだにゃ。例えば、画家のヴィンセント・ヴァン・ゴッホは、名字のVan Goghだけで24種類もあったのだそうにゃ(式場隆三郎『フアン・ホツホの障害と精神病』聚楽社、1932年)。数えるだけでも大変な研究にゃ! ・・・にゃ~む。名前の表記一つ取っても図書資料の目録化がどれほど大変な仕事であるかが分かるにゃね。