2024年5月16日木曜日

ムナーリとレオーニ(39)

1954

 1954年、レオーニはMoMAの展覧会「アメリカのグラフィックデザイナー4人展」(Four American Graphic Designers 29-44日)に参加した(*)。参加したデザイナーはレオーニのほか、ベン・シャーン(1898-1969)、ノエル・マーティン(1922-2009)、ハーバート・マター(1907-1984)。この展示について、図録に収録された森文美「グラフィックデザイン:アメリカ時代」ではこんなふうに解説している。


1954MoMAで当時もっとも実験的なグラフィックデザイナーの広告デザイン展が開催された際にも、社会的な事件を扱った作品で知られるベン・シャーン、フォトモンタージュの先駆者ハーバート・マター、美術館の図録デザインを一新したノエル・マーティンと共に取り上げられました。(p.38

 

私がいま年譜を読んでいる図録『だれも知らないレオ・レオーニ』には、『Fortune19546月号の記事レイアウト「7人の画家と1つのマシン」が掲載されている。ベン・シャーンもこの企画に参加しているのだが、最新の石炭採掘マシンを7人の画家が描くという面白い試みで、図録で確認できる4点の絵を見ただけでも、とても同じ機械を描いたとは思えないくらい個性豊かだ。図録ではこれを、レオーニが『Fortune』誌上で行なった「実験的な企画」(森泉文美「だれも知らなかったレオ・レオーニ」p.209)の例として紹介しているのだが、間違いなく、実験は大成功!である。

 この年のレオーニは、『Sports Illustrated』のデザインを手がけたほか、ニューヨークのパーソンズ・デザイン学校のグラフィック・広告デザイン学部長を務める。また、三越の展覧会のため来日した。

 一方のムナーリは、この年、ピゴンマ社の玩具《子ざるのジジ》で第1回コンパッソ・ドーロ賞(工業製品を対象とするデザインの賞)を受賞する。そして、思わず叫びそうになったのが、次の一文。

 

ニューヨーク近代美術館とレオ・レオーニの写真スタジオで〈直接の映写〉を上映する。(p.346

 

 レオーニの年譜では、一言も触れられていなかった(とはいえ、レオーニの図録はムナーリのそれと比べて小さいし、ページ数もやや少ないから、致し方ないことではある)。それにしても、年譜を読むようになって初めて、二人の接点に直接触れる文を見た。

 《直接の映写》はスライドにさまざまな素材をはめ込み、プロジェクターで白い壁に直接映写する。羽・糸・色付きセロファン・紙・布・植物の一部といった素材を透った光でえがく、重さのない絵だ(**)。映写機とスライドとちょっとした素材があれば、誰でも好きなときに、好きなところに、光の絵を表現することができる。カンバスや板などの支持体からも解放され、どこまでも身軽な創作活動である。

光でえがくというと、現在のプロジェクションマッピングを連想しそうになるけれど、《直接の映写》は最小限の手仕事を伴う、手作りの光である。ものを作るということを軽やかに楽しむことができるという点で、《直接の映写》は人間の創造の喜びに寄り添ってくれる装置だと言うことができそうだ。出来上がった光の絵を楽しむのはもちろんだが、それと同じくらい、過程が大事なのだろう。

1954年のムナーリはこの《直接の映写》の上映のほか、3つのグループ展に参加し、1つの個展を開いている。また、日本で出版されている『アイデア』第4号にムナーリの《凹凸》などの作品が紹介される。『アイデア』は1953年に創刊された誠文堂新光社の広告美術を扱う雑誌(***)だが、それに掲載されたという《凹凸》は吊り下げ式の動く彫刻、モビルにしか見えない。広告美術と一体どんなかかわりがあるのだろうかと図録をパラパラめくって眺めていたら、ルカ・ザッファラーノの「ブルーノ・ムナーリ:変容し続けるかたちのクリエーター」という論考に「工業製品であるメッシュという物体は」(p.302)という文言があるのを発見した。この作品について言及するなかで出てきたフレーズである。

…なるほど、そういうことか!

作品の素材は、その作品が成立する背景や、作品そのものが意味する何事かを暗示するメタファーになることがある(その点、架空の空間を巧みな筆遣いによって虚構するたぐいの、写実的な絵画作品とは大きく異なっている。その種の絵画作品を見るとき、鑑賞者はその筆致のすばらしさに感動することもあるけれど、基本的には絵の具やカンバスといった物質の存在は無視して作品に描かれた空間を思いながら画面を見つめる)。ムナーリはグラフィックデザインや工業デザインなど、経済という大きな機械を回す歯車となるデザインと深いかかわりを保ちつつ、作品づくりをしている。だから、経済活動を視覚的に支える広告美術を扱う雑誌と、工業製品を素材とする《凹凸》という作品はとても近しい間柄にあるのだ。この点においては、レオーニの作品づくりについても、同じことが言える。ムナーリもレオーニも、経済の歯車をくるくると忙しく回し、同時に自分自身も社会を回す歯車となりながら、楽しげなデザインの仕事を続けているのである。

 

【書誌情報】

奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp.342-357

「レオ・レオーニ 年譜」『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp.216-219 ※執筆担当者の表示なし

ルカ・ザッファラーノ執筆、田丸公美子訳「ブルーノ・ムナーリ:変容し続けるかたちのクリエーター」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp.299-306

*“Four American Graphic Designers.MoMA.

https://www.moma.org/calendar/exhibitions/3313, (参照202459日)

** 盛本直美「直接の映写」(p.135)およびスライドの図版《直接の映写》(1951年、pp.134-135)を参照。

***小野英志“『アイデア』.”アートスケープ.https://artscape.jp/artword/5468/, (参照202459日)

遠藤知恵子(センター助手)

2024年5月10日金曜日

ミニ展示 5月10日~23日

 センター入り口で、センター蔵書のミニ展示を行っております。

上橋菜穂子と〈精霊の守り人〉展
世田谷文学館/NHKサービスセンター 企画・校正・編集
NHKサービスセンター 2016年

 展示期間中も貸し出しをすることができます。どうぞお気軽にご利用ください。

2024年5月9日木曜日

ムナーリとレオーニ(38)

 1953年

 今回も、ムナーリの年譜を見ていきたい。

 1953年のムナーリは、6つのグループ展に参加し、個展を1回、開催している。年譜からはムナーリの活動の中心地はヨーロッパだったことがうかがえるが、この年はニューヨークでも、個展とグループ展を1回ずつ開催している。この年は展覧会だけでなく、映像の上映(《直接の映写》10月13日、ミラノ、ストゥディオB24)も行なった。さらに、この年から1954年まで、MACの会長を務めることになるなど、ムナーリの年譜はどの年を見ても盛りだくさんである。

 個展はイタリアン・ブック・アンド・クラフトで5月14日に開催された「読めない本——ブルーノ・ムナーリの読めない本とコラージュ」というタイトルのもので、ムナーリは『読めない本No.20』を制作したそうだ。グループ展は「建築・デザイン部門 1946-1953年新収蔵品展」(12月23日-翌年2月22日)というもので、ニューヨーク近代美術館で開催された。同館は1929年に開館し、建築・デザイン部門は1932年に設置された(ちなみに、1932年のムナーリはといえば、未来派の一員であると同時に新進気鋭のデザイナーでもあり、『カンパリの吟遊詩人』第5集の挿絵を手がけていた)。

 MoMAのホームページで公開されている、「建築・デザイン部門 1946-1953年新収蔵品展」の作品リスト(*)には、Graphic Designという分類のもと、ムナーリが寄贈したというレターヘッド(c. 1950)が記載されている。また、MoMA所蔵のムナーリ作品一覧(**)には、1935年制作と推定されるレターヘッドが3点載っている。1953年に展示されたものとは別のレターヘッドのようだが、面白いことに気がついた。3点とも、“Mazzotti Ceramics letterhead(Letter from Tullio Mazzotti to Luigi Scrivio”という名で、建築・デザイン部門の収蔵品と表示されているのである。ここに見られるTullio Mazzottiという名前には、覚えがある。

 MoMAの収蔵品となったレターヘッドを用いて手紙を出したTullio Mazzottiは、「ブルーノ・ムナーリ年譜」では「トゥッリオ・ダルビゾラ」(p.342)、「レオ・レオーニ 年譜」では「アルビソーラのトゥーリオ・マッツォッティ」(p.216)の名で登場する、あのTullio d’Albisolaである。ムナーリは1927年に、レオーニは1929年に、同じTullio Mazzottiのもとでそれぞれ陶芸を学び、制作していた。

 ムナーリとレオーニの年譜を読み比べるこの連載はもともと、「ムナーリとレオーニが、もしも今の日本のどこかの美術館で二人展を催したなら、どんな展示構成になるだろう」という思いつきから始まった。わずかな予備知識しかもたないなかで彼らの年譜を読み比べ、読み進めてきて、ふたりの共通点を初めてはっきりと意識するようになったのは、このTullio Mazzottiがきっかけだった。MoMAのサイトで再びこの名前に、しかもムナーリの作品を通じて出会うことになるとは思いもしなかった。


 ところで、去る5月5日はレオーニの114回目の誕生日だった。ちょっと遅くなってしまったけれど、今度の週末、エスプレッソとマリトッツォで、こっそりお祝いしよう。


【書誌情報】

奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp.342-357

「レオ・レオーニ 年譜」『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp.216-219 ※執筆担当者の表示なし

*“Recent Acquisitions, 1946–1953: Department of Architecture and Design.” MoMA.

https://www.moma.org/calendar/exhibitions/1796 (参照2024年5月9日)

** “Works.” MoMA. https://www.moma.org/artists/4163#works (参照2024年5月9日)


遠藤知恵子(センター助手)

2024年5月2日木曜日

ムナーリとレオーニ(37)

1952

 1952年のムナーリは、2つの個展を開催し、8つのグループ展に参加している。個展・グループ展を1年のうちに全部で10回開催。これまで見てきたなかで、一番、展覧会の多い年なのではないだろうか。

2回あった個展のうちのひとつは「彫塑的な四角い絵画と新しい役に立たない機械」(315-30日、ミラノ、ベルガミーニ画廊)というもの。1950年のモッタ社のパヴィリオンでもこの〈役に立たない機械〉シリーズは健在だったが、「新しい」という形容のついた1952年の〈役に立たない機械〉はどんなものだったのだろう。《役に立たない機械》を年譜で確認できるのは1930年以降。20年以上ものあいだ、「役に立たない」ことを続けるのは、結構大変だったのではないだろうか。

8回あったグループ展のうち、5つの展覧会タイトルに「具体」や「MAC」といった言葉や文字が見られる。ムナーリは1948年に設立したMAC(具体芸術運動)にも引き続き参加しているのだが、個人的に、ちょっと面白いなと思うのが、この一文である。

 

「機械主義宣言」、「総合芸術宣言」、「解体宣言」、「有機的芸術宣言」が掲載されたMAC会報『具体芸術』10号が出版される。(p.346

 

 「宣言」が4つもある。この一文を読んで、「宣言と言えば、未来派だよね」などと思いながら年譜を遡っていたら、1938年のところに「「機械主義宣言」をまとめる。(発表は1952年)」(p.344)と書いてあるのを見つけた。ムナーリは第二次世界大戦中に、未来派とは距離を置くようになったそうだが(盛本直美「未来派」p.30)、当時の芸術運動と完全に決別してしまったわけではなく、連続性を保ちながら次の運動に進んでいることが分かる。

なお、レオーニの年譜には、「1952年」と「1953年」がない。その間もレオーニが忙しく活躍していたことは間違いないが、目新しいことを始めるというよりは、前の年や、その前からやっていたことに引き続き取り組んでいた期間だったのかもしれない。

 

【書誌情報】

奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp.342-357

「レオ・レオーニ 年譜」『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp.216-219 ※執筆担当者の表示なし

 

遠藤知恵子(センター助手)

2024年5月1日水曜日

第7回 書評コンクールのお知らせ

白百合女子大学児童文化研究センター主催
7回 書評コンクールのお知らせ

今年も書評コンクールを開催いたします。

 募集作品は、「好きな児童文学作品・絵本、面白いと思った研究書や、児童文学・文化の関連書籍などの書評」です

 児童文化研究センター構成員の皆様のご応募をお待ちしております。


応募締め切り:202465日(水)

開催場所:児童文化研究センター公式ブログ


スケジュール

51日(水) 書評の募集開始

65日(水) 書評の応募締め切り

66日(木) 応募書評の公開・投票開始

620日(木) 投票締め切り

621日(金) 優秀作品と全執筆者の発表

 応募された作品は名前を伏せて書評番号をつけ、ブログ上で発表します。書評を誰が書いたか分からない状態でGoogle Formを利用して投票を行い、優秀作品の発表と同時に各作品の執筆者をブログ上で公開・メーリングリストでお知らせします。

 

  〈募集要項

・応募資格: 応募時点でセンター構成員であること。

・書評の分量: 8001200字。

・応募方法: テキストをWordファイルで作成、センター宛のメールに添付して送信してください

・メール本文には次のことを記載してください

    1. 応募者氏名(ペンネームでの公開を希望の場合は併記する)
    2. 応募区分(学生/一般/教職員/その他)
    3. 取り上げる本の書誌情報(タイトル・著者名・訳者名・出版社・出版年など)
    4. 冊子収録の可否(在学院生および翌年の新入院生に配布)

※ 著作権は執筆者に帰属します。

・投票資格:センター構成員および本学学生(学部生を含む)

・投票方法:メールおよびGoogle Form