2019年7月4日木曜日

ハシビロコウの宇宙

 上野動物園に行った時、ハシビロコウがポップに描かれているノートを買った。
 別にハシビロコウが1番好きだったからとか、そんな理由ではない。そういう好き嫌いで言えば、私はハシビロコウよりもオカピのほうが好きである。
 ただ、その時は、ハシビロコウのノートがいたく気に入った。いや、そのノートというよりも、そのノートの柄が気に入ったのである。
 紺地にポップなハシビロコウが、びっしりと列を作るようにして何匹も描かれている。
 ノートの背表紙に広がる、ハシビロコウの宇宙。
 このノートを見ていると、私が視認できていないだけで、もしかすると、背表紙の枠外にもハシビロコウがいて、無限に隊列を組んで行進しているのかもしれない。
 紺地は夜空を連想させる。
 私が目を閉じると、夜空を行進する数十、数百、数千、数万、数十万、数百万、数千万…数えきれないほどのハシビロコウが夜空を埋め尽くしている様子が浮かぶ。彼らは一体どこへ向かうと言うのだろう。
ハシビロコウたちは北極星を囲み、円を描くようにして、ぐるぐると回りだした。まるで火を囲んで、マイムマイムを踊っているかのように。あるいは、「かごめかごめ」とはやし立てているかのように。
宇宙は膨張する。ならば、ハシビロコウたちも膨張する。
宇宙は膨張し続ける。ならば、ハシビロコウたちも膨張し続ける。
数十、数百、数千、数万、数十万、数百万、数千万どころの話ではない。
もっと。もっと。もっと。もっと。
たくさんのハシビロコウたちが夜空を埋め尽くす。
さらに宇宙は膨張し、ハシビロコウたちも膨張していく……。
そこまで考えて、思わず私は目を開いた。手元を見るとホッと一息。ハシビロコウたちはノートの背表紙の枠内にしっかりと収まっている。
ノートを開けば、まっ白な世界。背表紙にはハシビロコウの宇宙。
ここでふと思いついた。彼らが膨張し続けるように、私もこの白い世界を、言葉で埋め尽くすというのはどうだろう?
そうと決まればグズグズしている暇はない。
私も彼らに負けないくらい、たくさんの文字を、言葉を、この白い世界で膨張させていかなければ。
さて、一体何の文字を綴ろうか。そう考えて、また目を閉じる。
途端に広がるハシビロコウの宇宙。やっぱり彼らは回っている。
ただ、さっきとは違って、今度は私を囲んで回っている。
私は北極星で、あるいは火。
そして彼らと「かごめかごめ」をしていた。

   かごめかごめ 籠の中の鳥は
   いついつ出やる 夜明けの晩に
   鶴と亀が滑った 後ろの正面だあれ?

「後ろの正面、ハシビロコウ」

 私がそう答えると、ハシビロコウたちは一斉に笑い出した。私はハシビロコウが笑ったところなど今まで一度も見たことも聞いたこともない。だから彼らの笑い声は聞こえなかった。
 それでも夜空一面のハシビロコウたちは、羽をばたつかせている。まるで鈴が一斉に鳴りだしているみたいに、ぶるぶる体を震わせて。
 そこで私は目を開いた。目の前にはまっ白な世界。背表紙にはハシビロコウの宇宙。
 私はため息をついて筆をとった。白い世界にすらすらと線が引かれていく。そうして出来がったのは言葉どころか、文字でもない。
 それは、一羽のハシビロコウ。
 ああ、完敗だ。間違いなく彼らは膨張している。
 ノートの背表紙からはみ出して、私の脳内を満たしている。
 そして、白い世界にも入り込んでしまった。
 私はもう一羽のハシビロコウを描こうとペンをノートに滑らせる。
 ハシビロコウたちは膨張している。
 いつかこの白い世界を占拠してしまう日も、近いのかもしれない。

                            鳥飼律子 
※青い字で書かれた氏名はペンネームです。