1930年① ムナーリとレオーニ
ムナーリは1930年に第17回ヴェネツィア・ビエンナーレの未来派の展示に参加する。会期は5月4日から11月4日までで、ムナーリの出品作品は《自画像》。未来派のオーガナイザーで詩人のマリネッティに認められ、かなり早い段階から作品発表の機会に恵まれていた。また、《軽やかな機械》や《役に立たない機械》をこの年に制作している。1930年は、ムナーリの初期の代表作が誕生した年なのである。
図録の出品作品リストを確認すると、2018年の回顧展に展示された《軽やかな機械》は1971年再制作のもので(原作は1930年)、赤く塗装した球体と直線もしくは軽やかに湾曲した細長いパーツを組み合わせて作ってある。会場での展示方法は「上から吊るす」…だったと思う(幾何学的な形の組み合わさった、似た雰囲気の作品がいくつもあったので、記憶に自信がない)。図録には、吊った形の写真図版が掲載されている。
《役に立たない機械》も、たしか「上から吊るす」タイプの展示方法をとっていた。《役に立たない機械》は1933年から1956年までの間に原作が制作された5作品について、写真図版と作品情報が図録に収録されている。それらの作品では、幾何学的な形(三角形や四角形、また、円形をもとにした形)に切った素材(木や金属、もしくは塩化ビニール樹脂など)を、絶妙なバランスで組み合わせて配置し、上から糸で吊るしている。吊ったとき自重で形態を安定させるためだろうか、石を使ったものもある。さまざまな形に整えられた木片や金属片は、塗装や不透明水彩、シルクスクリーンなどで着色されている。カラフルだったりモノトーンだったり、一目見たときの印象はそれぞれに異なるのだけれど、壁や床に投げかける影が面白かった。
ところで、いま、図録で作品情報を確認してみて、こんなに色々な材料を使っていたのか…!と、改めて驚いてしまった。材料の表面を塗っているためだと思うのだが、一昨年、展示室を訪れたときには、木や金属の質感をそんなに気にかけていなかったのである。素材の質感が絵の具や顔料の下に閉じ込められていて、展示室では、形と色の面白さを味わっていたような気がする。また、作品(シリーズ)名に「機械」とあるが、動力がついているわけではなく、これらのオブジェは自力では動けない。光線の加減や風など、他からやってくるエネルギーを利用して、その独特の存在感を醸し出している。重たい装置を持たず、環境に依存する「機械」は実際に軽やかだし、しかも役立たず者として飄々と展示空間を占拠する。
さて、この1930年という年だが、ムナーリはほかに、アレッサンドリアのチルコロ・ウニヴェルシターリ・ファシスティで3月に開催された「未来派芸術展」、ミラノのミケーリ画廊で5月から6月に開催された「第55回協会展」、ミラノのペーザロ画廊で10月から11月にかけて開催された「建築家サンテリアと未来派画家22人」展などに参加している。
一方のレオーニはと言えば、この年、ヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世商業技術高等学校を卒業し、税理士の資格を得ている。大学に進学するが、美術や工芸の学校ではなく、ジェノヴァ大学経済商学部に入学した。前年(1929年)にカンパリに作品を持ち込んだレオーニの行動力には目を見張らされるが、まだまだ学生である。
【書誌情報】
奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp. 342-357
「レオ・レオーニ 年譜」森泉文美・松岡希代子著『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp. 216-219 ※執筆担当者の表示なし
遠藤知恵子(センター助手)