出生から1925年まで③ オランダの教育者
今回も引き続き、寄り道しよう。レオ・レオーニがオランダで受けた教育(モンテッソーリ、フレーベル、ルソーといった人々の思想が取り入れられていたという)が興味深いのだけれど、「オランダ」「教育」というキーワードからは、私は他のどの思想家や教育者よりも、まず、コメニウス(1592-1670)の名を思い浮かべてしまった。レオーニが小学生の頃を過ごしたオランダは、コメニウスがヨーロッパの各地を亡命した後、亡くなるまでの日々を過ごした土地だ。
チェコの小説家・劇作家のカレル・チャペック(1890-1938)が旅行記『オランダ絵図』(1932)の「ナールデン」の章を、次のように書き始めている。
自らを囲む古い城壁の中にまどろむ、このきれいな由緒ある小さな町を不当に扱うことを望んでいるわけではないが、ここに旅行客がやって来るとしたら、他の何よりもまず、わがチェコスロヴァキアの偉人コメンスキーの墓と記念館を訪れるものとわたしは思う。
カレル・チャペック『オランダ絵図』カレル・チャペック旅行記コレクション、飯島周訳、ちくま文庫、2010年、p.132
私たちがよく知る「コメニウス」はラテン語名。チャペックはこの同郷の偉人(国名は時期によって変遷しているが)を、敬意と祖国愛を込めて「コメンスキー」と呼んでいる。
『世界図絵』(『可感界図示』Orbis sensualium Pictus 1658年)は、絵入りの教科書。『世界図絵』を作成したコメニウスは「教育の過程に視覚に訴える教材を導入し、知識を子どもの感覚に訴えることによって習得させる直観教授法を創始した教育家」(乙訓稔『西洋近代幼児教育思想史』東信堂、2005年 p.15)と位置づけられている。コメニウスはルソーやモンテッソーリ、フレーベルの思想の源流でもあるようだが、『世界図絵』もまた、子ども向けの書籍に見られるイラストレーションの、源流の一つと考えることができる。
レオーニの『スイミー』(1963年)が日本の国語教科書に採用されてからもう40年以上経つが、教科書的な正しさと美しいヴィジュアルとが融合したあの作品も、その源をずっとずっと遡って行ったなら、やっぱりコメニウスに行き着くのかなぁ…そんなことを考えた。
【書誌情報】
l カレル・チャペック『オランダ絵図』カレル・チャペック旅行記コレクション、飯島周訳、ちくま文庫、2010年
l 乙訓稔『西洋近代幼児教育思想史』東信堂、2005年
遠藤知恵子(センター助手)