出生から1925年まで② ムナーリ「わが幼き日の機械(一九二四)」
今回はちょっと寄り道。ムナーリの『芸術としてのデザイン』(小山清男訳、ダヴィッド社、1973年)に、「わが幼き日の機械(一九二四)」というエッセイが収録されている。このエッセイに書かれた内容によって、前回読んだ年譜の記述に何かを付け加えることはできないのだが、大人になってからムナーリが自分の少年期をどんなふうに振り返っていたか、見てみよう。
ムナーリが6歳頃から17歳頃まで過ごしたバディア・ポレジネの北部には、アディジュ川が流れている。「わが幼き日の機械(一九二四)」の「機械」とは、この川のほとりで見た「木造の水車小屋」(p.251)のことだ。
水と長い年月に洗われて古ぼけてはいるが、現役の水車として小麦を挽いている、そんな素敵な「機械」について、ムナーリはこんなふうに書いている。
その機械全体は古びた材木でできており、その時にはもうすっかりねずみ色になっていて、柔らかいところは風化して削られ、木目の堅いところがつき出ていた。水車の鉄の芯棒と、ひき臼の石だけが、摩擦で絶えずみがかれて光っていた。小屋の中はほの暗く、その中に小麦の粉砕器の翼や、人間の体ほどもいっぱいに詰った袋があった。(p.252)
いかにも無愛想な、実用のために作られたこの水車だが、ムナーリは上記の文章に続けて、「その機械はきいきいときしみ、うめき、つぶやき、水車の回るにつれて、時間のリズムにのることができた」(同上)と書いている。「時間のリズムにのることができた」という言葉からは、この水車が、回転運動や軋みの音を通じて時間という観念を発見させてくれるような、特別な意味のある「機械」だったのだ、と想像することができる(“時間という観念”などと言うとちょっと大袈裟かもしれないけれど、私たちは誰も、時間そのものを感じることはできない。「時間のリズムにのること」は、時間という観念を感得する経験の一つだし、そんなふうにして時間の観念と出会う瞬間は、やっぱり特別だ)。
水車は周囲の環境と結びつき、その中で、それ自身の仕事をしている。
時折りは粉や雑草、水や土、それに朽木や苔の匂いが鼻についたものである。そしてどうかするとこの大きな水車は、植物といっしょに、鳥の羽や紙きれや木の葉をすくい上げ、そのまばゆい構成に変化を与えるのだった。(pp.252-253)
水車の軋みと水の音に包まれ、時々鼻先をかすめる土や草や水の匂いを感じながら、雑草や水草、たまに流れてくる木の葉、鳥の羽、紙切れなどを掬い上げて回るさまを眺めている。決して純粋に働くだけの機械ではなく、さまざまな不純物を含んだ、豊かな「機械」である。
【書誌情報】
ブルーノ・ムナーリ『芸術としてのデザイン』小山清男訳、ダヴィッド社、1973年
(資料を読んでの感想)「わが幼き日の機械(一九二四)」を収録した『芸術としてのデザイン』の原題はArte come metiere(『職業としての芸術』1966年)である。「職業としての芸術」という原題は、考えさせるタイトルだと思う。例えば、“芸術とは、私たちが生きているこの世界のどのような場に存在しうるものなのだろうか?” あるいはまた、“芸術は、どのようなもの(事)に対してどんな働きをなしうるものなのだろうか?” など。
「わが幼き日の機械(一九二四)」における「機械」、すなわち水車小屋は、小麦を挽くという役割を果たすことにより、この世界に自分のあるべき位置を得、さらに、自分自身の姿(「摩擦で絶えずみがかれて光っていた」)を作り上げている。この水車小屋の描写を通じて、(人間社会と自然環境の両方を含み込んだ広い意味での)環境との関わり合いの中で自分自身を生成していく、そんな幸福な芸術家のイメージを見たような気がする。
遠藤知恵子(センター助手)