2019年8月22日木曜日

【書評】ハイエルダール『コンチキ号漂流記』神宮輝夫訳、偕成社(偕成社文庫)、1976年

学者の情熱が生んだ冒険

 もし、誰も自分の学説を信じてくれなかったら? 誰もが話を聞いただけで、論文を読もうともせずに否定してきたら? 味方だと思っていた友達の学者までもが、本当は信じてくれていないのだとわかったら?
 ノルウェー人の若き学者、ハイエルダールはあきらめない。「南太平洋のポリネシア人の起源は、およそ千五百年前にいかだで南米から太平洋を渡ってきたインカ=インディアンである」という自説が正しいことを証明するために、当時のいかだを再現し、その小さな帆走のいかだで、五人の仲間と共に広大な太平洋を横断するのだ。本書は、第二次大戦後間もない一九四七年に行われた航海の計画から結末までを記した、記録文学である。
 ハイエルダールは、決して命知らずに無謀な試みをしたのではない。その準備は周到で、人脈を最大限に活用し、ときには強引とも思えるやり方で、必要なものを手に入れていく。驚くのは、ハイエルダールの友人の幅広さと、相手の身分や国籍にかかわらず、臆せずに語りかけ、協力を引き出す能力だ。彼の率直さ、自説を実証したいという情熱、勇気――そういった魅力が人々を引きつけるのかもしれない。
 だが、ハイエルダールの一番の魅力は、ユーモアを大切にしている点にある。この体験記が国や時代を超えて多くの人に読み継がれているのは、空想科学小説も顔負けの、海に棲む見たこともない生物との出会いや、荒れ狂う海や何匹ものサメと戦う、手に汗握る冒険のためだけではない。決して大げさでも、面白おかしく書こうとしているわけでもない文章なのに夢中になって読んでしまうのは、ハイエルダールのユーモアがにじみ出ているからだ。自身が前向きでユーモラスな人柄であると同時に、周囲の人々のユーモアを、ほんのささいなことでも見逃さず、記録に残している。人間のユーモアを愛する彼のあたたかなまなざしがあればこそ、苦労や不安の尽きない航海は、驚きや喜びをかみしめて味わう幸せな日々となったのだ。
 計画の初期段階で、彼の身を案じ、誰かが論文を読んでくれるのを待とうと勧める元船長の友人に、ハイエルダールは言う。「読んでももらえない原稿より、探検の方が、人の興味を引くと思うんだ。」研究は本来孤独なものだが、彼は学会で完全に孤立してしまった。それでも絶望に押しつぶされないのは、ユーモア精神と情熱に支えられているからだ。何があっても決してあきらめずに道を探り、手を尽くして前進するハイエルダールの姿に、読者は自分の内にも前に踏み出す勇気が湧いてくるのを感じるだろう。


この書評が紹介している作品

ハイエルダール『コンチキ号漂流記』神宮輝夫訳、偕成社(偕成社文庫)、1976

この書評は2019年度に開催した書評コンクールの応募作品です(書評番号6)