2019年8月22日木曜日

【書評】吉川トリコ『マリー・アントワネットの日記』(Rose/Bleu)新潮社(新潮文庫)2018年

 マリー・アントワネットなんていう世界的な超有名人ともなると、彼女について書かれた作品は一冊や二冊では収まらない。最も有名なのはツヴァイクの『マリー・アントワネット』だろうか。そんな蓄積のあるジャンルに彗星の如く現れたのが『マリー・アントワネットの日記』だ。
 アントワネット(トワネット)がフランスへの嫁入りを前に書き始めた日記という体で進むこの本だが、タイトルから想像する内容と実際の中身は180度近く違う。やたらと文体がくだけている。最初の一行目からぶっ飛んでいるのだが、始まって数ページで「あたしがフランス王妃とかwww 超ウケるんですけどwwwみたいな」なんて言い出すのである。「その時代にそんな言い回し存在しないだろ!」というツッコミはたぶん、五分も経つ頃にはどうでもよくなっている。
 そんなギャル系天真爛漫女子のトワネットも、嫁ぎ先では完璧にフランス王室に馴染むことを求められる。意味不明な宮廷ルールやしがらみを容赦なく突きつけられる度に「疑問を持ったら不幸になるだけ」と自分に言い聞かせながらも、夜ごと日記に本音を吐き出さずにはいられない。
 フランス王家の面々はもちろん、オーストリアの肉親も彼女の逃げ場にはなってくれない。「圧が鬼(威圧感が鬼のように強いの意)」と評される母マリア・テレジアは、次第に王妃としての本分を蔑ろにし、享楽に耽るようになっていく娘を手紙で叱る。このエピソードは他作品にも登場する。多くの資料を上げ、冷静な書き味を崩さないツヴァイク版では、アントワネットに母の言葉は効果を及ぼさなかったのだと淡々と述べる。『マリー・アントワネットの日記』ではというと、こちらも簡潔に一行だけの反応だ。こんな風に。

「おせっかいのくそばばあ!!!!!」

 この一言に、思わず共感を覚えるのは私だけだろうか。諌めてくれるのが有難いのは分かっても、上機嫌でいるときに水を差されるとムッとする。それが実の母親なら、甘えもあって尚更素直に受け入れられないし、自分が大事なことから目を逸らしている自覚があればあるほど、正論で来られると「うざい!」と反発してしまう。
 どんな高貴な家柄に生まれようと、それだけで出来た人間になるわけではないのだ。実際のアントワネットがここまでファンキーな言葉遣いだったとは思えないが、似たようなことを思っていたっておかしくもなんともない。
 女性だから、王妃だから、と何重もの枷に縛られるトワネット。彼女から見れば、私たちの生きる現代日本はずっとマシな世界だろう。それでも、性別を筆頭に、自分にはどうしようもない理由で辛酸を舐めさせられることはいくらでもある。トワネットは隣にいたって違和感のない女の子で、感情移入せずにはいられない。
 格調高さをフルスイングで投げ捨てたような歴史物語、全力で推せる。


この書評が紹介している作品

吉川トリコ『マリー・アントワネットの日記』(Rose/Bleu)新潮社(新潮文庫)2018

この書評は2019年に開催した書評コンクールの応募作品です(書評番号7)