2019年8月22日木曜日

【書評】白川三兎『私を知らないで』集英社、2012年

いつからだろう、がむしゃらに生きることを躊躇い、今日はまあいいやといい加減に生きるようになったのは。困難に立ち向かい、どうしようもない現実の中で、それでも「せっかく生きているんだから、なんでもやってみたい」と貪欲に、精一杯に毎日を生きようとする彼女の姿がまぶしくて、だけどもその背に手を伸ばせど届かない、その距離が苦しく、切なく、そして疎ましい。
中学生の転入生「僕」は、誰よりも美しくしたたかな、そして周囲を拒絶するかのような同級生キヨコに魅かれてしまった。貧乏で『裸の大将』の山下清みたいに、いつもお弁当がおにぎりだからキヨコ。それなのに高級そうなバッグを身に付け、手入れの行き届いた長く綺麗な髪をたなびかせる彼女には良からぬ噂がつきまとっている。ある日、「僕」は噂の真相を突き止めようとキヨコを尾行するのだが早々に見破られてしまう。しかし、その日は特別に金策の一部始終を見せてくれた。彼女はそうやってコツコツとお金を貯め、少しずつ生活の質を上げようと努力をしていたのだ。普通の女の子のようになりたいと、毎日をがむしゃらになんとか生きていこうとしていたのだ。なのに、そんな毎日はある日唐突に終わりを迎えることになる。キヨコにとって、「僕」にとって、どうしようもない現実が訪れたその時、物語は終焉に向けて加速していく。キヨコは知っていた。お金が人を変えてしまうことも、お金を無駄に使うことの愚かしさも。だからこそ高くても上質なものを買って、そして大事にする。時は金なりというけれど、キヨコにとっての時間は、そんなお金よりも貴重だった。いつ何時、この平穏が引き裂かれ、地獄の釜のふたが開くのか、運命の鐘の音が打ち鳴らされるその時を、ただ一人待ち構える。キヨコは言う、「私を知らないで」と。その意味について、本書を読み終えた後にもう一度反芻してみると新たなキヨコの姿が浮かび上がるだろう。
実は、この本の時系列には物語の核となる中学生時代と、プロローグとエピローグを担う「僕」やキヨコが大人になってからの時間軸がある。大人になった「僕」は、キヨコと自分の今の関係についてどう思っているのだろうか。ハッピーエンドにみえてどこか心にトゲが引っかかったようなこの結末も実に切ない。そして、生きることに誠実であることは想像以上に難しい、だからこそ、キヨコ達が生きることに向き合うその前向きな強さと柔軟さを尊敬せずにはいられないのだろう。いつかキヨコのように生きられるだろうか、せめて太陽を追いかける向日葵のように、その背を追っていきたい。

しらかわ・みと:2009年、『プールの底に眠る』でデビュー。著書に『角のないケシゴムはウソを消せない』 (2011年講談社)など。


この書評が紹介している作品

白川三兎『私を知らないで』集英社、2012

この書評は2019年に開催した書評コンクールの応募作品です(書評番号5