2020年7月9日木曜日

こんなところに巖谷小波(つづき)

ご報告

 

昨年の712日(金)に、私は、雑誌『みづゑ』の感想を投稿した(「こんなところに巖谷小波」)。この投稿にも書いた通り、この雑誌の創刊号に掲載されていた記事「絵ハガキ競技会記事」(p.16)の次の文言を見つけて以来、ずっと巖谷小波とこの雑誌の関係が気になっていたのだった。

 

客員巖谷小波氏の「定齊」は投票済みて後着せしが、意匠として奇抜のものなりき。

 

これは、19057月の記事にあった言葉である。この部分を読んで、私はブログの投稿に「こんなところに巖谷小波が。客員だったのか。しかも、「意匠として奇抜」などと評されている。これは気になる。」と、書いていたのだった。

先日(630日)、『児童文化研究センター研究論文集23号』が大学図書館の学術機関リポジトリに公開された。小波日記研究会による寄稿「巖谷小波日記 翻刻と注釈:明治三十八年(五月~八月)」を、家に居ながらにして読むことができるようになった。

この「巖谷小波日記 翻刻と注釈」を読んでいると、『みづゑ』主催者である大下(藤次郎)の名を見つけることができた。そこには、次のように書いてある。

 

五月六日(土) 曇晴夜雨

 九時出勤

 午後三時帰

 四時より 画葉書品評會 大下、南岳 爽日

及余、 久保田 柳川欠席

夕食  後 八時後散

(「巖谷小波日記 翻刻と注釈:明治三十八年(五月~八月)」二頁)

 

おお、「大下」! そして、「画葉品評會」とある…!「巖谷小波日記」の註にも、この「大下」が「大下藤次郎」であることが書いてある。「競技会」ではないが、みんなで手描きの絵葉書を持ち寄って批評し合っていたようだ。そこから先の日記にも「画葉」の文字はちらほらと現れ、「題 青」(五月十一日、同上二頁)、「題茶 余二等」(六月八日、同上七頁)、「題五月雨」(六月二十五日、同上九頁)、「題七、余一等」(七月二十七日、同上十四頁)など、品評会を行うにあたって、毎回課されていたらしい画題や、二等や一等を獲得した記録を見ることができる。

小波の日記は全体的に簡潔で、金銭の出入りも克明に記されている一方、日々のこまごまとした出来事や自分の気持ちなどはあまり書いていない(ただ、お父さんが亡くなった後の数日は、簡潔ながら克明に記されており、お父さんの辞世の漢詩に和する形で小波作の漢詩が書かれていたりする。読んでいるこちらもじわっと悲しくなってしまう)。そんな日記に、「画葉書」の品評会のことがちゃんと書いてある。

 

……ああ、そうか、やっぱりそうなんだ。バラバラに見ていた資料同士がつながった瞬間である。嬉しくて、なんだかニヤニヤしてしまう。

小波は絵葉書にどのくらい凝っていたのだろう。どれくらい絵が好きだったのだろう。小波の美意識や自作のお伽噺の挿絵に対するこだわりについても、調べてみたいと思ったのであった。

 


熊沢健児(ぬいぐるみ・名誉研究員)