木蓮と月
ある晴れた朝、白い小鳥が鴉に追いかけられて、木蓮の枝に逃げ込みました。
木蓮は花盛りでした。小鳥はいまにも飛び立ちそうな枝先の白い花のあいだをすり抜け、幹の近くにふくらむ蕾の隣にうずくまりました。
鴉は木蓮の枝から枝を歩いて巡り、くちばしで花と花のあいだをさぐっていましたが、やがて、少し離れたところで蕾をつけている、桜の木の枝へと飛んでいきました。
小鳥は蕾のかげからちょっと頭を出して、明るい朝の空を見ました。空には糸のように白くて細い月がありました。そして、その月のしたには小さな家がありました。小鳥はその家で生まれ育ち、暮らしていました。ところが二日ほど前、家の人がドアを閉める大きな音に驚き、つい、窓を飛び出してしまってからというもの、しつこい鴉に狙われ、帰れなくなっていたのです。
思い切ってあの窓へ飛んでいこうかしら――小鳥は考えました。しかし、いまこの木蓮の枝を離れたら、きっと鴉に見つかり、追いかけられることでしょう。次こそは捕まって、食い殺されてしまうに違いありません。
もう、追いかけられるのは嫌だ。このままずっと、ここに隠れていよう――小鳥は決めました。
木蓮は大きくて立派な樹でした。なんて頼もしい幹だろうかと、小鳥はつくづくと木蓮を見ました。木蓮の幹にはおじいさんの顔のようにしわが寄っていて、小鳥にはそのしわが、だんだんと本当の年取った人の顔のように見えてきました。
ああ、あの家の人たちはどうしているだろう――小鳥の胸はひんやりとした寂しさでいっぱいになりました。
すると、どうしたことでしょう。
木蓮の幹に浮かび上がるおじいさんの顔が、ぱっちりと目をひらき、そのぎょろりとした大きな目で小鳥のことを見たのです。小鳥はびっくりして飛び上がり、木蓮の枝といわず花といわずぶつかりながら、ぴちぱち、ぴちぱち…と、あの小さい家の窓をめがけて一直線に飛んでいきました。
さあ、大変です。小鳥が木蓮の枝を飛び立つところを、桜の木から鴉が見ていたからです。鴉はいまこそ小鳥をつかまえようと、枝から躍り出てきました。小鳥は鴉に気がつきません。ぴちぱち、ぴちぱちと翼をばたつかせ、わきめもふらずに小さい家の窓へと飛んでいきます。
しかし、鴉の速いことといったら、あっという間に小鳥に追いついてしまいそうです。
ああ! 小鳥は鴉に食べられてしまうのでしょうか。
いいえ、小鳥は無事でした。鴉の鉤爪が樹の枝を離れたのとちょうど同じとき、木蓮の枝から、花たちがいっせいに飛び立ったのです。みな、白い花びらをはためかせ、すみやかに小鳥に追いつくと、ひとつの大きな群れとなり、小さい家の窓へと飛んでいきました。
木蓮の花の群れのどこに小鳥がいるのか、もう分かりません。みな一様に朝の光を受けてかがやきながら、飛んでいきます。
鴉は小鳥を追うことをやめ、もといた樹に戻っていきました。
小鳥と花の群れは、小さな家の窓の前までくると、木蓮の花のうちでも一番大きくて立派なものが、窓ガラスをとんとん、とんとん、と叩きました。
小さい家の人たちは宙を飛ぶ木蓮の花たちを見てびっくりしましたが、そのなかに白い小鳥がいるのに気がつくと、窓をあけてやりました。
こうして、小鳥は家に帰ることができたのでした。そして、もう二度と、窓から飛び出すようなことはしませんでした。
小鳥を家まで送りとどけた花たちも、もちろん、帰っていきましたよ。でも、花たちが帰ったところは、木蓮の枝ではないのです。
木蓮の花たちが帰ったのは、月です。糸のように白くて細い、朝の月に、花たちはひとつ残らず帰っていったのです。
じつは、小鳥が家を恋しく思い、寂しがっていたのと同じように、木蓮の花たちもそろそろ月に帰りたいなあと、恋しく思っていたところだったのです。
木蓮の白い花たちは夢のようにかがやきながら、明るい朝の空を昇っていきました。
(児童文化研究センター助手 遠藤知恵子)