2026年4月16日木曜日

5の倍数と「児童憲章」

過去のブログ記事から


 今年の1月、こちらのブログで、ケストナーとトリヤー(トリアー)の『どうぶつ会議』(原著出版1949年)について、ミニ展示の報告記事を作成しました。そのとき、
 
1924年 「児童の権利に関する宣言(ジュネーブ宣言)」、国際連盟総会にて採択
 ↓25
1949年 『どうぶつ会議』原著出版
 ↓10
1959年 「児童の権利宣言」、国際連合総会にて採択
 ↓20
1979年 「国際児童年」
 ↓10
1989年 「子どもの権利条約(児童の権利に関する条約)」、国際連合総会にて採択
 
といったように、5または10の倍数で年を刻みながら、児童に関する国際的な取り決めがなされている、ということに気がつきました(そして、『どうぶつ会議』の原著出版が、ちょうど良い具合に10または5の倍数の列の中に入ってくるということにも気がつきました)。
 1989年に国連総会で採択された「子どもの権利条約」に、日本が批准したのは5年後の1994年。ここでも5の倍数が登場します(月数も計算に入れると約4年半後ですが、批准年を覚えるには5の倍数が便利)。
 5とか10とか、切りの良い数って、何だか人工的ですよね。こんな、人工的なイメージの数を見るにつけ、子どもの権利というものが自然発生するものではなく、人為的に、努力の結果として作り出されるものなのだなあ、と、しみじみと考えさせられます。
 国際条約である「子どもの権利条約」は、国内の法律より優先されるほど強い効力をもつものですが、1959年の「児童の権利宣言」には法的拘束力がありません。とはいえ、「児童の権利に関する宣言(ジュネーブ宣言)」の内容を引き継ぎ、1989年に採択される「子どもの権利条約」の基礎にもなっています。1959年の「児童の権利宣言」もやはり、私たちの現在に繋がる、重要な宣言であることは間違いありません。

「児童憲章」


 「児童の権利宣言」が国連総会で採択されるより遡ること8年、日本では1951年に「児童憲章」が制定されます。文部科学省のウェブサイトで全文を確認することができます。
 
われらは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。
 
児童は、人として尊ばれる。
 
児童は、社会の一員として重んぜられる。
 
児童は、よい環境の中で育てられる。
 
一 すべての児童は、心身ともに健やかにうまれ、育てられ、その生活を保障される。
二 すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもつて育てられ、家庭に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる。
三 すべての児童は、適当な栄養と住居と被服が与えられ、また、疾病と災害からまもられる。
四 すべての児童は、個性と能力に応じて教育され、社会の一員としての責任を自主的に果たすように、みちびかれる。
五 すべての児童は、自然を愛し、科学と芸術を尊ぶように、みちびかれ、また、道徳的心情がつちかわれる。
六 すべての児童は、就学のみちを確保され、また、十分に整つた教育の施設を用意される。
七 すべての児童は、職業指導を受ける機会が与えられる。
八 すべての児童は、その労働において、心身の発育が阻害されず、教育を受ける機会が失われず、また、児童としての生活がさまたげられないように、十分に保護される。
九 すべての児童は、よい遊び場と文化財を用意され、悪い環境からまもられる。
十 すべての児童は、虐待・酷使・放任その他不当な取扱からまもられる。あやまちをおかした児童は、適切に保護指導される。
十一 すべての児童は、身体が不自由な場合、または精神の機能が不充分な場合に、適切な治療と教育と保護が与えられる。
十二 すべての児童は、愛とまことによつて結ばれ、よい国民として人類の平和と文化に貢献するように、みちびかれる。

 
「児童憲章」文部科学省ウェブサイト
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/004/siryo/attach/1298450.htm
※仮名遣いについて、促音の「っ」のみ歴史的仮名遣い(大きい「つ」)となっていますが、本記事ではそのまま引用しています。
 
 1946年の憲法公布から5年後(5の倍数!)に制定されたこの「児童憲章」は、児童は「人」そして「社会の一員」として尊重され、「よい環境」で育てられるという理念を前文で示し、続く12個の条項でどのように児童が守られ、導かれる存在であるのかということを述べています。「保護」という側面を強く打ち出している点は、児童が自分の意見を自由に表明する権利があるとする「子どもの権利条約(児童の権利条約)」と比べると、古風な印象を受けます。
 「児童憲章」もやはり法的拘束力のない宣言文のようなものですが、この時代の児童文学関係者はどう受け止めていたのでしょうか。センター蔵書を通じて、1951年をちょっと覗き見してみましょう。
 

1951年の評論より


 児童文化研究センターには、1946年から1989年までの日本の児童文学評論の中から選りすぐりのものを収録した『現代児童文学論集』という資料があります。全部で5巻あって、11冊がしっかりした厚みのある資料ですが、意外と日常使いもできるのが魅力。「この年の日本児童文学では、何が話題になっていたのかな」と、ふと気になったときなどにパラパラとめくって、キーワードを拾いながら読むのに便利です(「今日は何の日カレンダー」みたいに、楽しく使いたいですね)。
 『現代児童文学論集 1  児童文学の戦後 1946-1954』(日本児童文学者協会編、日本図書センター、2007年)に収録された、1951年の評論をパラパラめくると、そこには、
形ばかりの「児童憲章」(p.112
と、思わず「ヒュッ」と息を呑んでしまいそうになる、シビアな言葉が。これは、同書に収録された関英雄の評論「児童文学の現代——ペシミズムからの転換——」(『文学』第19巻第8号、19518月)にあったものです。しかし、関は次のようにも書いています。
「児童憲章」が条文の上だけでも、すべての児童に「よい遊び場と文化財」を保証し、それの裏づけででもあるように、児童文学の作品に芸術院賞と文部大臣賞があたえられたということは、それがどういう意味合のものにせよ、児童文学への社会的関心を呼び起さずにはいない。(pp.115-116
 「良い遊び場と文化財」とは、「児童憲章」の9番目、「すべての児童は、よい遊び場と文化財を用意され、悪い環境からまもられる」という条項に見られる言葉です。そして、「芸術院賞」とは、小川未明がもらった第7回日本芸術院賞のようです。「文部大臣賞」については、現在の文化庁による「芸術選奨」のことを指しているようで、1950年度の第1回で、石井桃子(『ノンちゃん雲に乗る』)と竹山道雄(『ビルマの竪琴』)が文学の部門で受賞。(「芸術選奨」文化庁ウェブサイト https://www.sensho.go.jp/list.html せっかくなので児童文化についても確認しておくと、幻燈や紙芝居も授賞対象に含まれていた映画部門では、二つの紙芝居、いわさきちひろと稲庭桂子の『お母さんの話』、高橋五山の『こねこのちろちゃん』が受賞しています)。敗戦の痛手からなんとか回復しようとしていた復興期、最初の受賞者に子どものための文学・文化の担い手がいたことは確かで、「児童憲章」によって示された理念とそれを反映した文化政策、そして、この動きが社会に与えるインパクトの強さは、関も認めているようです。
 「児童憲章」の条文は現時点で実質を伴わない虚ろな言葉の羅列だが、文化政策と合わさって社会に及ぼす影響力は認める、このような姿勢が、当時の児童文学者たちによって共有されていたようです。
 同じく『現代児童文学論集 1  児童文学の戦後 1946-1954』に収録された、児童文学者協会・年刊第四集編集委員会による「大人の読者へのあとがき(一九五〇-五一・児童文学の展望)」(『日本児童文学選 年刊第四週』桜井書店、195111月)には、
五一年五月五日の「子どもの日」に、「児童憲章」が制定され、すべての児童に適切な文化財を保証したことは、それが今のところ空文であるとしても、これを現実のものとして行くために、児童文学者の奮起が要望されているものでありましょう。(太字は原文ママ。pp.138-139
とあり、やはりここでも「空文」と手厳しい言葉を挟み込む一方で、「児童憲章」に書かれた理念はぜひとも実現していきたいという意志を読み取ることができます。現状では「空文」でも、作品制作や批評の積み重ねによって中身を充填していけば、いずれ「形ばかり」でも「空文」でもなくなる日がきます。現在、私たちの身の回りにある児童書や、その他様々な児童文化財は「空文」を実のあるものにするための努力の結果、あるのですね。
 202655日、「児童憲章」制定から75年を迎えます(5の倍数!)。先人たちの足取りを、センター蔵書をひもときながら辿ってみませんか?
 
【書誌情報】
『現代児童文学論集 1 児童文学の戦後 1946-1954』日本児童文学者協会編、日本図書センター、2007