児童文化研究センターは、2024年12月27日(金)から2025年1月5日(日)まで、閉室とさせていただきます。
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青春のスケッチブック
続・『クマのプーさん』挿絵画家が描くヴィクトリア朝ロンドン
「うまくいくから。明日には、お日さまが輝いているわ。」(p.234)
『思い出のスケッチブック 『クマのプーさん』挿絵画家が描くヴィクトリア朝ロンドン』(国書刊行会、2020年)の続編です。
前作に引き続き本書の翻訳をされた永島憲江さんは、本学大学院で博士号を取得されました。現在は白百合女子大学児童文化研究センター研究員でいらっしゃいます。
永島さんは「訳者あとがき」に、「本作を訳していていちばん楽しかったのは、『思い出のスケッチブック』に名前だけ言及されていた母の親友ガッシーと、エレンおばさん(おばさんのひとり)が実際に登場してくれたこと」(p.300)と書いています。上に引用したのは、永島さんを嬉しがらせた一人である「母の親友ガッシー」が恋に悩むシェパードにかけた言葉です。
この年、ムナーリはパドヴァで個展を催し、その会期中に〈偏光の映写〉上映会も開催される。〈偏光の映写〉は、偏光板を利用してつくる映像作品のこと。しばらくぶりなので、図録のなかの解説で〈偏光の映写〉のことを簡単に振り返っておきたい。
偏光板とは、ある特定の方向に振動する光だけを通す性質をもったシートで、作品はこれを透明な素材とともにスライドに挟み込んで映写し、プロジェクターのレンズの前で、別の偏光板をかざし動かすと、スクリーンに現れた鮮やかな色彩が次々と変化していくという仕組み。
p.135 執筆担当:盛本直美
喩えるならば、「科学技術を応用し、光の刷毛で描く抽象絵画」といったところだろうか。
物体に備わる特有の性質を利用して得られる像や色彩だから、この〈偏光の映写〉は、実際には「具象(というか、具体)」を極端に突き詰めることによってできる映像なわけだし、「抽象」という言い方はおかしいかもしれない。ただ、なんとなく、版画家の恩地孝四郎の「抽象」と通じるものがあるような気がして、「抽象絵画」に喩えてしまった。私個人の偏った見方に過ぎないのだけれども、いろいろ連想しながら言葉に表してみるのは楽しい。そして、図録に収録された図版はどれも美しい。
1961年のムナーリはほかにもう1回個展を開いており、グループ展への参加は4回。また、第39回ミラノ国際見本市に参加し、モンテカティーニ社のパヴィリオンに噴水を2つ、設置したそうだ。どんな噴水かと言えば、「直径4mの円盤が水と風の動力で動くものなど」(p.347)とのこと。〈偏光の映写〉といい、この噴水といい、ムナーリは動いて形の定まらないものが好きだったんだなと、改めて思う。
【書誌情報】
奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp.342-357
1975年の『ひとあしひとあし』出版以降、レオーニの絵本の翻訳を数多く手がけた谷川俊太郎さんが、今月13日に亡くなってしまった。メディアにもよく顔を出している詩人だし、少なくとも100歳までは活躍を続けられるに違いないと勝手に思い込んでいた。だから、谷川さん死去のニュースに接したときは、ものすごく驚いてしまった。心よりご冥福をお祈りいたします。
1961年、レオーニはイタリアに戻った。移り住んだ先はリグーリア州のラヴァーニャという町の、サン・ベルナルド地区である。図録の情報を頼りにネットで調べてみると、ラヴァーニャはジェノヴァ県内に位置する。ジェノヴァはレオーニが15歳の頃、父親の転勤により一家で移り住んだ土地である。ここでイーゼルを購入し、漫画や油絵を描き始めたのだった。
図録に収録された解説「レオの絵本作り——初期の4冊を中心に」(執筆:松岡希代子、pp.188-195)によれば、ここは妻ノーラの実家の別荘ピンクヴィラのあるカーヴィに近く、イタリアでも有数のリゾート地であり、小石の広がる美しい浜辺があるそうだ。そして、結婚前からレオーニはよくピンクヴィラに滞在していたとのこと(p.190)。そういえば、第二次世界大戦終結から2年後の1947年、アメリカに亡命して以来初めてイタリアに戻ったとき、レオーニはカーヴィで絵画制作に打ち込んだと、年譜に書いてあった。アメリカでの生活に区切りをつけるにあたり、若い頃からのなじみ深い土地を選んだのである。
イタリアに再び根を下ろした、この記念すべき年に出版した絵本は『はまべにはいしがいっぱい』(原題:On My Beach There Are Many
Pebbles)である。レオーニ3冊目の絵本。先の松岡の解説によると、制作に着手したのは2冊目の『ひとあしひとあし』よりこちらの方が先だったという。移住が直接の制作動機になったわけではないようだが、イタリア移住後第一作がこの絵本だというのは、なんだか素敵だ。
『はまべにはいしがいっぱい』はこれといった事件は起きない、それらしいストーリーのない絵本である。本物のように描かれた小石の群れのなかに虚構が、というか、心のなかで作り出したイメージが混ぜ込まれていて、どのページも長いこと飽きずに眺めていられる。この絵本が1979年に日本で出版されたときの翻訳者はもちろん、谷川俊太郎さんだった。
【書誌情報】
「レオ・レオーニ 年譜」『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp.216-219 ※執筆担当者の表示なし