2011年6月23日木曜日

食べられる粘土!

センターに、院生の皆さまがかわいいクッキーを持ってきてくださいました!


院生室にお邪魔すると、ドイツの食べられる粘土、「Yummy Dough」をこねこねしながらさまざまなデザインのクッキーを量産中でした!
鮮やかな色に少しだけどきどきしながら頂きましたが、少しやわらかめのクッキーという感じで、とても美味しかったです。
焼いていない状態のものも頂きましたが、ソフトキャンディやキャラメルのような食感で、味はクッキーという、不思議なものでした。
何より、皆さまがとても楽しそうに、器用にクッキーを形作っていく様子を見て、私たちもとても楽しかったです。
院生の皆さま、どうもありがとうございました!

2011年6月15日水曜日

アサガオの植え替え☆★

本日、1号館ステラマリス前にてアサガオの植え替えをおこないました!!
元気に育って、夏には立派なグリーンカーテンになって欲しいです。
花が沢山咲けば、視覚的にも涼しいこと間違いなし☆★

ゴーヤと合わせて成長記録をお楽しみください♪

2011年6月10日金曜日

【近況】センター報鋭意作成中!

ただいま、7月末発行予定の児童文化研究センター報を、鋭意編集中です!
構成員の皆さま、お手元に届くまで、今しばらくお待ちくださいませ。

ちなみにゴーヤも作っております!



・・・あれ?アサガオは?

2011年6月9日木曜日

【エッセイ】 ゆうす・かるちゃあ 「尾崎豊」についての思い出から

 没後20年という記念の年が近づいているからだろうか。最近、「尾崎豊」の曲を耳にすることが増えた。1992年4月に、尾崎豊さんが26歳で亡くなったとき、私は9歳だった。午後のニュース番組が、葬儀を報じていたのを覚えている。テレビの画面の向こうで、たくさんの若い人たちが泣き崩れていた。普段は見ないような、異様な光景だったので、隣に座って洗濯物をたたんでいた祖母に、「なにがあったの?」と尋ねた。
「尾崎豊が亡くなったの。この人は、若い人たちの気持ちを、代わりに歌ってあげてたんだよ。」
 このときの祖母の声には、同情がこもっていた。かつて保母をしていた(「保育士」が、まだ「保母さん」「保父さん」と呼ばれていた時代だ)祖母には、どことなく上から物を言うようなところがあるという印象を持っていたけれど、いつになく、優しい声だった。
 このニュースに接してから、「尾崎豊」という歌手の顔や名前と、その歌を、一致させて認識することができるようになった。と言っても、顔立ちのきれいな歌手だな、声が印象的で、真っ直ぐに力強く歌うのだな、という程度の認識で、小学校を卒業し、中学校、高校と、忙しく過ごしているうちに、「尾崎豊」のことは忘れていた。

 次に「尾崎豊」と出会うのは、2001年で、私は18歳になっていた。白百合に来る前、共学の大学に入学して、最初の夏休みだった。親睦会を兼ねた合宿で、食堂かどこか、皆が集まることのできる場所で喋っていた。つけっ放しのテレビがにぎやかだった。
そこにいた数人のうち、一人が言った。
「尾崎みたいに反社会的なことを歌ったって、なんにもなんねーよ。」
言ったのは当時18歳か19歳の男性だが、彼の頭の中には、盗んだバイクを乗りまわしてみたり、校舎の窓ガラスをぶち割ったり、といった、歌詞の中の暴力的なイメージ(ファースト・アルバム『十七歳の地図』(1983年)に収められた「15の夜」やセカンド・アルバム『回帰線』(1985年)収録の「卒業」など)があったはずだ。
ちょうどそのときである。テレビから《美少女戦士セーラームーン》(東映アニメーション制作、テレビ朝日系列、シリーズの放送期間は1992‐1997年)のオープニング・テーマが流れ出した。「尾崎嫌い」の青年は言った。
「この、いきなり“ごめんね”ではじまる歌詞は、斬新だよな。」
 今になって考えると、もしかしたら、彼は《美少女戦士セーラームーン》の「斬新さ」から、誰か尊敬するアーティスト(たぶん、前衛的な)を思い浮かべていたのかもしれない。あるいは、大学に入ったばかりで、創造的なことに挑戦したいと願う青年には、現状を打開するでもなく反抗を繰り返しているように見える「尾崎豊」という存在が疎ましくて、その反動で《美少女戦士セーラームーン》に斬新さを感じる、と言ったのかもしれない。「尾崎豊は嫌い」も、「セーラームーンは新鮮だ」も、彼が日頃まじめに考えていたことから導き出された結論、あるいは態度の決定だったのだろう。
ただ、私は、それから何となく、「尾崎豊」が気になり始めた。

 数年後、家で母の本棚にあった本を読んでいて、きたやまおさむ『みんなの精神科 ―心とからだのカウンセリング38』(講談社+α文庫、2000年)と出会った(母はフォーク・クルセダーズのファンで、特に北山修さんが好きだという。ちなみに、北山さんは本を書くときの名を「きたやまおさむ」とひらがな表記して、他の場面から区別している)。精神科医でもある著者は、覚醒剤使用による逮捕やアルコールの急性中毒状態など、尾崎さんが悩み、不慮の死を遂げるに至った原因とは何だったのか、と、考察していた。
その過程で、きたやまさんは『回帰線』収録の「シェリー」「存在」「卒業」などから、「日本人的な対人恐怖の気持ち」(88頁)や、「夢と現実の小賢しい区別を拒否する」(89頁)心性を読み取る。おもしろいと感じた指摘なので申し訳ないと思いつつ、大雑把に要約するならば、歌手・尾崎豊が持つこの二つの個性が、苦しみのもととなった。ファンは現実を拒否して夢を追い続けることを求める歌に共感し、ファンの視線が人一倍気になる尾崎さんはそれに応えたい。だが、共感を得て、歌手として成功すればするほど、現実を拒絶するような歌は作りづらくなる。なぜなら、尾崎さんが「夢と現実の小賢しい区別を拒否する」ということは、彼の作る歌は、ファンが期待するのとは違う、成功した歌手としての実生活を反映する歌へと変質せざるを得ないことになるからだ。
きたやまさん自身も歌手・尾崎豊のファンだが、というより、だからこそ、なのだろうか、「尾崎豊」へのファンの共感の仕方について、次のように少し厳しい指摘をしている。

対人恐怖症の彼が対人恐怖症を共有する聴衆にアピールするのは、私たちだって夢の中に逃避したいし、他者におもねることなくピュアな夢を大事にしたいと昔から思っていたからこそで、がんばって夢にしがみついている尾崎豊に共感を覚えたのです。(91頁)

夢にしがみつくことで成熟を拒否するという身振りは、社会人としては許されないのだが、それをマスメディアの架空の空間でやって見せるところに、ファンは共感した。大スターとして市場に出回る「尾崎豊」はこれでうまくいくが、個人としての尾崎さんはギャップに苦しみ、いっそう頑なに成熟を拒否することになり、実生活での葛藤はどんどんつらくなっていく。
私の祖母が言った、「若い人たちの気持ちを、代わりに歌ってあげた」ということに、別の側面から光を当てると、ずいぶん異なる相貌が見えてくる。人として成熟することを拒否して泥沼にはまっていくという挫折の仕方は、当人はもちろん、無関係の人間が見ていてもつらいし、惨めな気持になってくる。「ファンの共感」も、共感と言うよりは「傷の舐め合い」と言ったほうが良いように思えてくる。
こうしてみると、自分だって「尾崎豊」に負けないくらい繊細で、感受性豊かで、まじめなくせに、「尾崎嫌い」を表明する青年の気持ちも、分かる気がする。でも、分かろうとすればするほど、記憶の中に残っている、その姿が、「尾崎豊」と重なってしまう・・・。
と、すれば、である。嫌ったり、突き放したりするのではなしに、どうしたら、「尾崎豊」を越えることができるのだろう? そして、「尾崎豊」を越えたら、どこに、どこまで、行けるのだろう?

(研究員、遠藤知恵子)

2011年6月2日木曜日

ベルギーからのお客さま

先週、当センターに、はるばるベルギーよりお客様がいらっしゃいました!

日本文化について研究していらっしゃるベルギーの大学の教授で、日本でのメーテルリンク受容についての資料を探していらっしゃったところ、お知り合いにこちらを紹介いただいたそうです。

先生は、当センターが所蔵する、『青い鳥』の翻訳をはじめとする新旧さまざまなメーテルリンクに関する資料、通称「青い鳥コレクション」計292冊を二日間にわたって調査されました。
先生のご研究のお役に立てたようで、満面の笑顔でお帰りになる先生を見送りながら、我々もたいへん誇らしい気持ちになりました!

ちなみに、この「青い鳥コレクション」は、元本学教授の故冨田博之教授が蒐集された資料の一部です。

写真はお土産にいただいたチョコレート、の、箱、とパンフレットです。先生がいらっしゃってまだ一週間しか経っていないのにもかかわらず、箱しか写せなかった理由はお察しください・・・。

2011年6月1日水曜日

【書評】たつみや章『夜の神話』と原発問題――「蹴り」を入れるものとしての物語――

先日の東日本大震災と福島第一原発の事故を受けて
真っ先に思い出した一冊がある。
ここを見ている方にはご存知の方も多いかもしれない、
たつみや章の『夜の神話』(講談社、1993年)だ。
というのも、『夜の神話』は、「原子力発電所の事故」という問題に
まさに真っ向から取り組んだ児童文学作品だからである。


『夜の神話』の物語は、12歳のマサミチが、原発の技師である父を町に残し
母と二人で祖母の家に引っ越してきたところから始まる。
彼はある日、自転車でカエルを轢き殺したのにまったく反省しなかった罰として、
月の神である「ツクヨミさま」に「サトリまんじゅう」を食べさせられてしまう。
それはマサミチに自分勝手な「闇鬼(あんき)」の心に気付かせ、
生き物たちの声を聞き取る力を身につけさせるものだった。

そんなとき、父が、部下のスイッチョさんこと、須賀さんを連れて帰って来る。
腕利きの技術者であるスイッチョさんは
原子炉の暴走を防ぐために大量被曝したのだという。
マサミチは兄のように慕う彼を助けるべく、ツクヨミさまに助けを求める。
だが、それは叶わず、ふとしたことから月のうさぎと体を入れ替えられ、
ついには月に連れて行かれてしまう。

一方、老朽化した原発では、またもや大事故が起ころうとしていた。
ツクヨミさまたち神々はそれを知り、マサミチやスイッチョさんを連れて
月の舟「月弓丸」で現場に向かう。
人の技術は、神の力は、惨事を防ぐことができるのか。
また、放射能の青い炎に蝕まれたスイッチョさんの命は助かるのか――。


刊行から二十年弱。この物語が、今ほど身に迫って感じられることはないだろう。
先日、じっくりと読み直してみて、改めて驚いた。
それは単に、事故を止めようと奔走するスイッチョさんたちの会話に、
ウラン235、水蒸気爆発、メルトダウンといった
今や耳慣れた単語が現れてくるからというだけではない。
これだけ込み入った問題が込み入ったままに捉えられ、
しかも、読み手をぐいぐい引っ張っていくファンタジーとして
着実にまとめあげられているというその点において、である。

たつみやは、本作を含む「神さま三部作」において
常に巧みな構造を物語に張り巡らせてきた。
「主人公の父親を、その原子力発電所の技師に設定するあたりは、
現代社会が抱えた矛盾に対する著者の独特なスタンスが垣間見られる。
それは、前作でレジャーランド開発企業の御曹司を、
開発反対派と共闘させる設定に類似する。つまり、
敵を敵として対象化するという、一見判りやすい図式を廃して、
それを身内に取り込みながら解決の糸口を探ろうとする」(※注)というように、
たつみやはとことん注意深く、一枚岩の世界観を廃そうとする。

後半、緊迫する事故のシーンでは、
原発を止める止めないで争う父や所長たちの傍らで、
国つ神と天つ神とが、人間に手を貸す貸さないで睨みあう。
すなわち、人には人の数、神には神の数だけの立場があるのだ。
どれもひとしなみの重さをもって描かれる、人の理と、神の理。
それらが対立し絡み合う多元的なこの構造こそが、
物語の嘘らしさを退け、面白さを作り出しているのだろう。

しかし、そのような描き方を貫くだけでは、
われわれを取り巻くこの現実と同様、事態が膠着するばかりである。
そこで登場するのが、うさぎになったマサミチ少年だ。
「いいかげんにしてよっ!」彼は叫び、
畏れ多くもツクヨミさまの顔面にキックを浴びせかける。
「けんかしたけりゃどっかよそでやってよ!
じゃまっけだよ! ばっかみたいだ!」と。

どこか、胸のすくようなこの場面を見るとき、今のわれわれもまた、
このように言いたい、言われたいと思っていることに気付くのではないだろうか。
言うなればこの物語は、淡々と事実に沿った裏付けをし、
個々の立場に想像をめぐらし、ていねいに外堀を埋めてから、
いよいよというところで、われわれをスパンと正面から蹴り飛ばすのだ。

原発や原子力技術の在り方といったことは、
言うまでもなく、経済、政治、外交、はたまたその歴史など、
あらゆる分野を股にかけて考えられねばならない問題である。
その途方もなさがわかっていればいるほど、
人は、自分などに何ができようと感じ、口をつぐんでしまうだろう。
けれど、口をつぐんでいても始まらないし、
何も始まらなくて困るのは他ならぬわれわれ自身、とりわけ、
この世界をいずれ否応なく手渡されてしまう子どもたちである。

だから本作は、その絡まりを可能なかぎり解きほぐすと同時に、
堂々と「蹴り」を入れることによって、
すっぱりと余分な糸を断ち切ってもみせる。
そう、ここであえて、一歩進んで言ってみたい。
「児童文学だからこそできること」というのがあるとしたら、
まさにこういったことではないだろうか? と。

清水真砂子は、『夜の神話』が刊行されたのとほぼ同時期に、
『幸福の書き方』(JICC出版局、1992年)でこう述べている。
「今、大人の文学の世界で、「幸福」だとか「人間の生き方」なんて言ったら、
照れくさくて恥ずかしくて、
「ようまあ、そんなこと言えるわ」というようなものでしょう。
今の時代、そんなことは本当に野暮なことかもしれません。
しかし、その野暮さでしか子どもの本は勝負できないし、
その野暮さで勝負すればいいと、私は思っています。
「子どもの本」って、きっと野暮なんです(PP.66-67)」。

その意味でいえば、『夜の神話』もまた、きわめて野暮にはちがいない。
原発事故の収拾をつけるのに、月の神さまが手助けしてくれるとか、
さまざまな哀しみを経た主人公の少年が
それでも薪や木炭を使った「夢の発電所」を自由研究のテーマにして、
将来に希望を託すなんていう結末は。
しかし、現実は現実として捉える一方で、そういう物語を「良し」と考え
「確からしさ」を感じて暮らすことに、どんな不都合があるだろう。
むしろ、人を生かし、動かしている理由などしょせんは野暮なもので、
けれど野暮なほど、意外な底力を発揮するものなのではないのだろうか。

第一、マサミチの希望は、まんざら野暮な夢物語でもなくなってきたようである。
少し前、遅ればせながらも勉強しようと、
『原発と日本の未来』(吉岡斉、岩波ブックレット)という本に目を通してみた。
奇しくも震災直前の2011年2月に発行された本書には、
原子力技術の保持のため、国ぐるみで原発の利用を推し進めてきた
日本の歴史的・軍事的な事情と共に、
ここ二十年ほどの原発関連事業の実績が解説されている。
そこでは、実際のところ、原発は温暖化対策の切り札ともなりえていないし、
コスト的にもあまりに割が合わないので、いずれは自由主義経済の中で
淘汰されていくであろう、という判断が述べられていた。
それこそ、この聞きかじりだけでものを言う愚は承知だが、
あるいは、人の理が神の理に近づくときが――
人が人の利益を追求した結果、ぐるっと一回りして、
どうでも自然と共存できるエネルギーに向かわざるを得なくなるという状況が――、
もう、すぐ目の前まで来ているのかもしれない。

私自身のことを考えても、この物語をはじめて読んだ子どもの時分から、
もはや十数年の時が経った。
その間、社会人のはしくれとして企業の論理も垣間見たし、
いくつかは人の生や死にも出くわした。
そしてつい先日、私にかつてお年玉をくれていた親戚のお兄さんが、
原発の技師になり、福島で働いていることを知った。
それでもなお『夜の神話』の物語は、私にとって十分に確からしい。

そんなこの本が、今このときに思ったよりも目を向けられず、
一般の書店で手に取りにくい状況なのが、とても残念だと考えている。
反原発のデモに参加するような気分で、この本を読めと言いたいのではない。
ただ、ときに人の、ときに神さまの視点で、
静かにこれからのことを考え、動くために、
この本がもっと多くの大人や子どもに読まれることを祈っている。

(研究員、沢崎 友美)

※注:たつみやは1991年に『ぼくの・稲荷山戦記』で
講談社児童文学新人賞を受賞し、続く1993年に『夜の神話』、
1995年に『水の伝説』を発表した(いずれも講談社刊)。
これら三作のモチーフは、いずれも主人公の少年と神々とが
様々な困難を孕んだ現代の環境問題に向き合うというもので、
「神さま三部作」とも呼ばれている。
2006-2007年には、相次いで講談社文庫にも収められた。
引用は『夜の神話』文庫版の解説(野上暁、PP.323-324)で、
「前作」とは『ぼくの・稲荷山戦記』を指す。